こんにちは。
2017年がはじまりましたね。

2016年はテトがスタートした記念すべき年となりました。
多くの方の応援やサポートをいただき、2017年を無事迎えることができました。
今年は、昨年よりもさらにたくさんの方にテトを知っていただき、商品を手にとっていただけるよう、取り組んでまいりたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

さてさて、香川県はみなさんご存知『うどん県』です。
お正月だって、年明けうどんを推しています。
(年越しそばに真っ向勝負ではなくあえて『年明け』を謳う、控えめさが私はなんとなく好きです。)

住所が『うどん県』でも郵便物が届くらしいというのは一部の人に知られていますが、(ご存知でしたか?)
東かがわ市も実は『てぶくろ市』。
『てぶくろ市』でも郵便物は届くとか届かないとか。

昨年、いろいろなところでPOPUPイベントをさせていただいているときに、よくこう聞かれました。


“そもそもなぜ温暖な四国の香川県が手袋の産地なの?”



ということで本日は、なぜ香川県が手袋の産地になったのかという歴史について簡単にお伝えしようと思います。

手袋産業が東かがわへやってくるきっかけは、明治時代まで遡ります。

そのはじまりは、1888年、東かがわに住んでいた住職・両児舜礼(ふたごしゅんれい)と一人の女性との駆け落ちでした。
現代のように当人同士の意思で結婚ができる時代ではなかった当時、2人は大阪へと移り住みました。そこで生計を立てるために始めたのが手袋製造だったのです。

その2人の事業を助け、拡大していくために、従兄弟の棚次辰吉らが経営に加わります。1892年、両児舜礼の病死後も、棚次辰吉がその意志を継いで事業を続けていくことになるのです。

一方でこの時期、彼らのふるさとである東かがわでは、地場産業が衰退をはじめていました。
香川県はもともと温暖かつ降雨量が少ない気候で、製糖業や製塩業が発達した地域でした。
東かがわが発祥である白砂糖も、江戸時代後期には全国一の生産量を誇った塩も、温暖少雨の気候条件に適していたのです。
しかし明治時代後期には、砂糖、塩共に外国からの輸入が増えたことで生産量が減少し、産業は衰退をはじめます。
産業に従事していた人たちの生活も苦しくなっていきました。

そのような状況の救済策として、大阪で手袋製造を営んでいた棚次辰吉に相談が持ちかけられたことで、その技術を持ち帰り、東かがわで手袋製造が始まることとなったのです。

いわば、人々が生き抜き、町が存続していくための智慧でした。

それから130年近く経ちます。
大戦景気やその終戦による反動、世界恐慌など、さまざまな歴史的な出来事に伴い、多くの企業が淘汰されたり、整理統合されていったりした中、地域の多くの人々の努力により、香川県の手袋産業は発展・継続し、日本一の手袋産地となったのです。

常に変化を恐れない、変化にチャレンジするという、先人たちのDNAがここ東かがわには脈絡と受け継がれていると感じています。

変わりゆく時代、変わりゆく地域にとって、変化をし続けるということだけが唯一変わらないことなのかもしれません。

テトの2年目、チャレンジを恐れず前へ一歩ずつ進んでいきたいと思います。

テトの商品はこちらでご覧いただけます。

  • 市内の公園には棚次辰吉像があります。隣には両児舜礼の碑が並んでいます。